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志賀島の「蒙古塚(蒙古首切塚)」

志賀島の「蒙古塚(蒙古首切塚)」  福岡県福岡市東区志賀島


1274年文永の役の時、嵐で沈没した船から流され逃げ遅れた蒙古兵は捕虜となりました。その半分は京都におくられ、残りの兵は太宰府の水城で処刑されたそうです。その供養のために建てられたものがこの「蒙古塚」で、「蒙古首切塚」とも呼ばれています。

蒙古塚(蒙古首切塚)には「この地は古来より霊の集まる元寇の古戦場として」と記述された碑がありましたが、志賀島以外の元寇の古戦場跡にも、蒙古塚は何か所かあります。

福岡西方沖地震で昭和3年に建てられた蒙古供養塔は倒壊したため、現在ある蒙古塚は再興されたものです。

蒙古塚の写真 蒙古塚参拝登口の写真
志賀島の巡回道路「金印海道(県道542号線)」を左周りに走ると、金印公園を越え約900mぐらいの山側に「蒙古塚」が有ります。数台の車が停められる駐車場も併設されています。

右は金印海道のカーブ沿いに在る「蒙古塚参拝登口」です。この階段を登り切った場所に「旧蒙古塚古跡地」や「クビキレ窟」「日蓮上人像」が建立されています。

蒙古塚の日蓮上人像の写真 クビキレ窟の写真
福岡西方沖地震で崩壊する前はココに供養碑が建っていたそうです。崩壊した供養碑の一部は、現在の蒙古塚の横に残されています。階段を上がると正面に「日蓮上人像」が鎮座し、右が「クビキレ窟」で、墓石を集めた場所のようです。


この場所は玄界灘に浮かぶ玄海島などを望む景色の良い場所です。蒙古塚参拝登口から続く階段は急ですが、距離は差ほどありません。


蒙古塚(TOP)




元寇に付いて

1274年(文永の役)と1281年(弘安の役)に、元の大軍が日本を従えようとしておこした2回の戦い。元軍は現在の福岡市に上陸し鎌倉軍と激戦に成ったが、夜になると船に戻った。夜に嵐に遭い殆どの船は沈没し、元軍は壊滅したと言われている。神風という言葉は、ここから生れたと聞いた事があるが・・・


文永の役では、蒙古軍約4万人。対する鎌倉幕府軍は兵士1万人足らずだったようです。圧倒的な蒙古軍の戦力に鎌倉軍は撤退しましたが、夜になると蒙古軍は船に戻り、嵐に遭い沈没し鎌倉軍が勝利。

弘安の役では、蒙古軍は兵士約14万人だったといわれていますが、台風で蒙古軍は壊滅状態に陥り鎌倉軍の勝利につながったと言われています。


蒙古塚(TOP)



志賀島の元寇関連史跡

火焔塚
志賀島には火焔塚という元寇にまつわる史跡があります。敵が退散するように高野山の僧が護摩を焚いて祈った場所です。



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